食事を与えている人が飼い主であり、動物の“生活=命”を支配しているのです。
人が動物に食事を与えるということが、動物を“飼う”ということなのです。
野生の動物は自分で食べ物を捕獲しなければなりません。
食を獲るということが仕事であり生活なのです。
ですから、人が食事を与えるということは動物の生きるための仕事(生活の糧)を奪い、生活=命を支配することになるのです。
動物が本来敵であった人と共に暮らす(飼われる)ことは、ほとんどが人の善意と愛情によります。
ところが、自己満足のためや自己中心的な思い込みで動物と接し、動物の生態を知ろうとしなければ悲劇となります。
人と暮らす(飼われる)ことにより、動物は一見、敵や飢えや自然の脅威から守られ、健康管理や楽しみを与えられるように見えます。
しかし、本来の生活環境や仲間から引き離され、飼い主を仲間であると思い込ませることで心の自由を奪い、不完全な人間本位の食事を与えていることは忘れられています。
たとえば、猫は本来砂漠に住む単独の狩猟動物であり、魚を主食とはしません。
ほとんどの人が、“猫には魚”と思っているのではないでしょうか。
また、自由を自然であると取り違え、動物の社会化(社会のルールを教えること=しつけ)をしない人もいます。野生動物は、自然界の厳しいルールの中で学び生活しているのです。
自由に見える動物たちも厳しい条件の中で生きているのです。
われわれ人間も社会のルールの中で学び守ることが最低限の義務でありマナーではないでしょうか。放任や過保護を無償の愛と勘違いしてはいけません。
今までも非常に多くの動物が人と暮らしてきたという事実は、飼育法が適切であるのではなく、動物の快活さや抵抗力や順応性のおかげなのです。
動物に食事を与えているのであれば、動物の物理的・心理的な要求と適切な生活環境を正しく理解し提供しなければなりません。
それが動物への思いやり(福祉)であり、命の尊厳を守ることなのです。
動物を擬人化せず、習性の異なるひとつの命として理解し、愛情と責任を持って生活を共にしていただきたいと思います。
食事を与えたら、排便排尿の世話をするのがマナーです。
病気の予防や治療や管理も必要になるでしょう。
もし食事を与えている動物が他人や社会に迷惑をかけているのならばそれは、“飼い主(家族)”の責任であることも忘れないでください。